今回どうしても参加を見送らざるをえなかった「あなた」よりマインド枠としてご紹介いただいた本があります。
了承を得ましてご参加の皆様とともに読書会の面白さを共有できたら嬉しいです。
コメント・画像等送ってくださりありがとうございました。
読書会中にコメントを読み上げました。
戦時下のジャーナリズム
1987年刊 著者 高崎隆治(たかさき りゅうじ) 著者は1925年生まれ。
第二次世界大戦中に学徒兵として招集され、戦後「メディアの戦争責任」を長く追及し続けた人です。日本ペンクラブ会員。
2008年、長年の功労により横浜文学賞受賞。
この本は満州事変から太平洋戦争までの戦時下において、当時の新聞や雑誌、ラジオなどがいかに権力と一体化し、いかに戦争を煽ったかを、大量の資料を提示しながら強い憤りと共に語っている評論集です。
第二次世界大戦中に学徒兵として招集され、戦後「メディアの戦争責任」を長く追及し続けた人です。日本ペンクラブ会員。
2008年、長年の功労により横浜文学賞受賞。
この本は満州事変から太平洋戦争までの戦時下において、当時の新聞や雑誌、ラジオなどがいかに権力と一体化し、いかに戦争を煽ったかを、大量の資料を提示しながら強い憤りと共に語っている評論集です。
大手新聞社や大手出版社の総合雑誌、婦人雑誌、青年雑誌、映画雑誌、NHK、etc...片っ端から槍玉に上がっています。
私は若い頃に、この著者=高崎先生の講義を受けたことがあります。
その時の話では「出版業界の批判なので、どこの出版社も単行本化してくれない。やっと本になったと思ったら、今度は流通が全く出荷してくれない。書店から注文があっても書店へは卸さずに全て返本された。戦争中の反省が全くされていない」とのことでした。(この本は、その後に別の出版社から出ています)
この『戦時下のジャーナリズム』をあらためて読んでみると、ぞっとするほど戦時中と「今」が似ていることに気づきます。 たとえば。 官邸がメディアの幹部を招集する、メディアが官邸を批判しなくなる、政権批判を禁止する法律ができていく… 今、一人でも多くの方に知っていただきたい本です。
この本は、・秋田市立中央図書館明徳館 ・大館市立栗盛(くりもり)記念図書館 にも収蔵されています。
また、高崎先生の著書を県内横断検索をしたら28冊ありました。ご参考まで。
この本は、・秋田市立中央図書館明徳館 ・大館市立栗盛(くりもり)記念図書館 にも収蔵されています。
また、高崎先生の著書を県内横断検索をしたら28冊ありました。ご参考まで。
マエストロ、それはムリ…~飯森範親と山形交響楽団の挑戦~
このタイトルと表紙を見た瞬間に「読みたい!」と思いました笑
この本のことを語るには、 まず山形交響楽団のことをお話しないといけないのですが、 東北山形にこれだけ活気のあるプロオーケストラがあることにびっ くりしました…演奏会が多く、 内容もバラエティーにとんでいてすごく楽しいです。 海外の演奏家を招いた本格的なものから、 ゲーム音楽のドラゴンクエストコンサート、 山形市の文化財施設で行われるお着物コンサート、 なんと専属のオペラ団体もあり、 歌付きの演奏会も充実しています。 秋田のクラシックコンサートのチラシコーナーも山響で溢れていま す。
でも、そんな山形交響楽団も一昔前まで、 なかなかお客さんがつかず、 コンサートもあまり開けずに貧困に喘いでいたそうです。
何か新しいこと、変わったことをしようとすると山形弁で「 あがすけ」(目立ちたがり屋)と言われ嫌煙されてしまう… そんな土地柄もあるせいか、 オーケストラの運営も保守的にならざる得ませんでした。
そんなオーケストラを変えたのが、 当時国内外で人気の指揮者であった飯森範親(いいもり のりちか)さんでした。「 地方のこんな小さなオーケストラに指揮しに来てくれるわけがない …」そう思われていたのにもかかわらず彼はやってきます。 まるでドラマのようなお話です。 そんな山形交響楽団の歴史アーカイブが本書になります。 クラシックに興味のない方も、 飯森マエストロのリーダーとしての姿、考え方などに共感と「 こんな上司いい!」 といった気持ちを持たれるのではないかなと思い、 ご紹介させていただきました。
無知の涙
「米軍基地に忍び込み、そこで盗んだピストルを使って、日本の各地で4件の強盗殺人事件を起こした少年」
そう聞いて、あなたはどのような人物を想像するでしょうか。
1997年8月1日に死刑を執行された永山則夫という死刑囚がいました。
事件を起こして逮捕された後、たくさんの本を読み「なぜ、自分はこのような事件を起こしてしまったのか」「自分と同じような立場の人間を生み出さないためにはどうすればいいのか」をノートに書き綴っていきます。
永山の生育環境は劣悪なものでした。あまりの貧困ゆえに満足に学校に通うこともできず、兄たちから日常的に暴力を振るわれ、家庭に頼る人もいない。
永山は中学校を卒業すると、家庭から逃げるように集団就職で上京します。
しかし「人を頼る」「人に助けを求めることができない」そういった事情から、永山の東京での生活は次第に苦しいものになっていきます。
紆余曲折を経て全てに行き詰まった彼は、やがて冒頭の事件を起こします。
29年にも渡る裁判で、最高裁判所から下された判決は、死刑。
本当に彼だけが事件の全ての責任を背負わなければいけないのか?
責任を取る、あるいは罪を償うというのは「死刑」だけだったのか?
様々なことを考えていけば、本当にキリがありません。
以下は、出版社サイトからの引用です。
「4人を射殺した少年は獄中で、本を貪り読み、字を学びながら、生れて初めてノートを綴った――自らを徹底的に問いつめつつ、世界と自己へ目を開いていくかつてない魂の軌跡。」
2024年現在、事件から50年以上が経過して、死刑執行からも27年が経過することになります。
令和の時代になった今、いわゆる凶悪事件が起きると、死刑判決を巡って「永山基準」などの言葉が断片的に語られることはありますが、
永山の事件の本質がどこまで理解されているのかは疑問です。
事件の中身まで知ってほしい、あるいは永山の事件や存在を忘れてほしくない。
そういった願いのようなものを含めての紹介です。
関連書籍もたくさんあります。
永山則夫 封印された鑑定記録
死刑囚永山則夫
これまで読書会に参加されていて今回も!の枠からどうしても断念せねばならなかったお気持ちをマインド枠でいくばくかを還元できるだろうかと思いますが、折に触れて色々なあなたを推していけたらと思っております。
今回も読書会では本の面白さ、あなたのチョイス、読書の魅力を存分に語って聞くことができました。
会場の電源スペースあらやさんにも特別なご配慮をいただきまして感謝を重ねて申し上げます。
今回も読書会では本の面白さ、あなたのチョイス、読書の魅力を存分に語って聞くことができました。
会場の電源スペースあらやさんにも特別なご配慮をいただきまして感謝を重ねて申し上げます。
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